チーズが好きすぎる
幼少期の頃からチーズが大好物だった私は、グラタンやドリア ピザにラザニアといったチーズ無しでは現在の地位を確立できなかったであろうチーズ料理たちを愛する熱心なチーズ信者だ。もちろん単体で食べることだって好き。(意識が)飛びます 飛びます。
そんな合法なのかも疑わしい依存症乳製品無しでは生きられなくなったのは、小学3年生の頃に子どもの思いつきでとある料理を編み出したことが始まりだった。「皿の上に敷いたとろけるチーズ(ピザ用チーズ)を電子レンジで溶かし それをフォークでこそぎ落しながら食べる」というシンプルかつ至極の一品。それをパンに乗せるわけでも、何かを合えるわけでも、食材をくぐらせるわけでもない。ただチーズだけを食べるのです。
この料理の醍醐味は、スライスチーズやピザ用チーズが電子レンジの熱でふつふつと煮え滾るまでの調理光景を、レンジのガラス戸越しに眺めることにある。
とろけるチーズが一番美味しく見える瞬間に「茶色い焦げ目が付きはじめる」「とろ~っと伸びる」などいくつかの候補が上がる中、わたしは「チーズが溶けていく様」をとにかく推していた。
それを原点に、チーズ料理を中心とした食生活が火をつける。両親が共働きだったので、土曜日の休みになると幼いながらに昼ご飯を自分で用意する自立タイプの女児だったことが災いとなり、わたしはインスタントラーメン、昨晩の残りのカレーや野菜スープ、目玉焼きにトーストなど、幼いながらに自分の手で調理できる範囲内の料理すべてへ溢れんばかりのチーズをトッピングするようになった。
チーズを溶かすだけの一品は派生に派生を広げていき、いつしかチーズの消費量と娘の変化に気づいた親にチーズを取り上げられ、冷凍庫の奥深くに隠されるといった事態にまで発展する。
そう。当時は実感がなかったが、私はチーズの過剰摂取により小学生の平均体重を優に超えていた。学年がひとつ上がるたび10kg増えるのは当然だと信じていたのだ。
太りすぎて体操スクールへ
この後すぐだったかは覚えていないが、地元にある団地の中にあった小さな会館で週に一回行われていた「体操スクール」なるものに私は通うことになる。
当時の私が、そんな試練のようなラインナップを前にして、二つ返事ですら「いいよ」などと言えるわけがなかった。だってゲームボーイアドバンスで星のカービィ夢の泉DXしなきゃいけないじゃん。
しかし「お前の仲のいい友だちも通っているよ」「終わったら会館の自販機でココアを買ってもいいよ」「待機時間はゲームしててもいいんだって」という甘い誘惑に私は「それだったら…」と了承。
だが、事前に行われた見学で会館を訪れると自販機にココアが売っていない。母の言う「ほら、ミロもココアだから」を信じ、妥協してミロで手を打つこととなったが、ミロはココアのようでいて決してココアではない。ミロはミロ以下でもミロ以上でもないのだ。わたしのミロ離れは思いのほか早かった。
ミロって大麦が入ってたんですね
だからと言って他に親に買ってもらわないと飲めないように特別なものも無かったので、運動した分のエネルギーは体に直に届くようになっていた。これはデブが唯一持っているスーパーアルティメット奇跡※があるためである。
だがあの頃のわたしは運動が嫌いなだけで運動神経までは失っていなかったようで、先生の熱心なご指導と周りとの友情パワーによって今では絶対に飛べないであろう高さの跳び箱を軽々越え、逆立ち・倒立・逆上がりなんでもござれ状態だった。
ドッジボールも最後まで男の子と並んで残って勝利を掴む悦に浸るような経験を経て、小学5年生ぐらいの時にはリレー候補に上がるようなスポーツやっちゃりますよ女児になっていたのだが…。
太りすぎてプールへ
結果として減量は出来たが、平均体重には到底届かず。
「もっとスラリとした女の子になりますように」そう切に願った母は、体操スクールにあっさり通うようになった娘のチョロさに付け込み、それと並行して同じく週に一回「ピープル」と呼ばれるコナミのスイミング教室にも通わせることを割と勝手に決めてしまった。
今回は友達どころか知っている子が誰も通っておらず、親の送り迎えはなく行きも帰りも一人で送迎バスに乗らなくてはいけない。別にわたし泳ぎたくないんですけど。ピープルなんかに行きたくないんですけど。ていうか64でスマブラしたいんですけど。
そう駄々をこねる私を見かねて、母は「プールが終わったらこのお金でジムのアイスを買って帰って来ていいよ」と100円玉と10円玉を何枚か握らせるようになった。
私は再び「それだったら…」と了承。チョロい~~ チョロいぞ~~。いま考えると水中での運動量がパーになっているのではないかと思わなくもないが、きっとそれが母の思いやりと優しさであり、はたまた奥の手だったのだろう。
今もあるね
だがよくよく考えると大好きなアイスと孤独の水泳を天秤にかけたところでピープルが優勢になることはなかった。騙された。送迎バスに揺られながら自分は騙されてここに乗っているのだと理解した。もうこれドナドナじゃん。かわいそうな子牛売られてゆくよ 悲しそうな瞳で見ているよ。
でもやっぱり運動神経が悪いわけではないので、行ったらそれなりに泳いじゃう。テストを受けて級が上がると色んな魚のワッペンを水泳帽に縫い付けられるので、ポケモンのジムバッジ集めみたいで楽しかった。結局バタフライや背泳ぎ・果てにはクロールまで出来るようになる頃には家族から「海女さん」と呼ばれるようになり、わたしは水泳を愛し始めていた。
小学生、病む
同時期、一軒家を購入することになった我が家は引っ越しをすることになり、わたしは新たに「デブな転校生」としてのキャラを確立させることになる。残忍ね。
ムッチムチなボディラインをしっかり見せつけるジャストサイズのロンT。そこにあしらわれた大量のスマイルちゃんは生地に引っ張られるように横に伸び、たぶん悲鳴を上げていた。そんな裸よりも恥ずかしい装いで、全校生徒を前に挨拶することを余儀なくされてしまった春を一生忘れない。
当時のムチムチロンTジュニアは、内気で弱弱しくそれから先の自分とはまるで別人。転校して仲のいい友達や慣れ親しんだ地元と離れ離れになった不安が要因と思われるが、子ども特有のストレートな物言いに傷つき、教室の隅でスンスン涙を流す健気なエピソードも数多い。
体型をバカにされるだけで随分嫌だったので、それ以外のことでバカにされることを恐れたわたしは、新しいクラスメイトに「ボボボーボ・ボーボボ」が好きだと打ち明けることが出来なかった。でも大丈夫、大人になってからも言えんわ。
そういう日々の蓄積で、人生史上一番というほどのメンタルブレイクに襲われてしまうわたし。謎のとんでも腹痛や真っ黒い吐瀉物を吐くようになり、「もう学校行きたくない」と不登校デモを起こしたが、一日だけ母とパフェを食べにズル休みをしてからはケロッと復学した。
夢の標準体重 ~そして後天性チヤホヤ期へ~
おかげでスタイルをいくらか取り戻したわたしは、さらに成長期で背の順で並ぶと後ろから2番目あたりだった身長に体重を分散することに成功。
それなりにスラリと伸びた足を「お前 いい脚してるな」と父に褒められたり、母の友人からは「菊川怜に似ているね」なんていう有り難いお言葉まで頂けるようになった。太っていた時はイジワルな男子から「南海キャンディーズのしずちゃんに似てる」とバカにされていた事もあったわたしがついに痩せてるタレントの人に似てるって言われちゃったと一人沸き上がった。
前はゴムの入ったズボンを買っており、過去にはそのせいで母を不幸させてしまったエピソード※もあったが、それなりのサイズの普通ズボンの着用を実現。それに伴いお洋服が少しおしゃれになり「服かわいいね!」とチヤホヤされるように。そして地味にモテ始めた。「今まで気づかなかったけど、わたしってもしかして可愛いのか…?」とおっかなびっくりしながら鏡を凝視する日々がしばらく続く。
ちなみに父に体のパーツを褒められたことは後にも先にもこれっきりである。
つまり痩せた人間の首に食らい付こうとするリバウンドという名の獣がすぐそこまで迫っているのだが・・・。
チーズにしてやられる
「制せなかったよ…」
突然湧き上がるチーズへの執念。欲望のままに手を伸ばした結果、着実にそれは体に変化を与え、中学生になる前にはムチムチロンTジュニアに戻っていた。中学校の制服を選んでいる時も「何かわたしのセーラー服デカくね?」と思った。 高校の制服なんて特注で作った。どうもどうも、特注で頼んだ者です。制服引き取りに来ましたよ。
チーズと生きる
それからというもの、長い道のりの中で幾千ものダイエットにチャレンジしては幾万ものリバウンドを繰り返している。
豆腐やワカメなどの低カロリー食品を主食にしてみたり、炭水化物を抜いてみたり、一日の一食をダイエットドリンクやサラダに置き換えたりもした。1日の食事を8時間以内にすませ、残りの時間は何も食べなかったり、食べたものとカロリーだってノートに書き連ねた。ビリーズブートキャンプもやった。「♪ ワイパーワイパー」も頑張った。犬の散歩で2時間は家に戻らなかった日だってあったのだ。
ちなみにダイエット器具に至っては、深夜の通販番組で紹介されていたものは一通り買い揃えたが、ダイエットを頑張る人の養子として何度も旅立って行った。
きっと29歳の今も、チーズで出来た脂肪はこの体の中に残り続けているだろう。
そんな私はニンテンドーのリングフィットを購入し、人生最高記録に到達した体重を落とすべく、今もチーズを手放せないままダイエットを続けている。